エッセイを書きたい
エッセイを書きたい!!!!!!
おきょうへいですどうも。
「エッセイ」って、めちゃくちゃ「文化人」って感じがして良くないですか?
星野源さんとかハライチの岩井さんみたいな芸能人や、あるいは一般人が文芸誌やメディアで書いているエッセイ。その人の思考回路を覗き見できるようなワクワク感があって好きです。
エッセイを書きたい!!!!!!!!!!
このブログも大きく分ければエッセイの枠に入れていい気がするんですけど、なんかぼくの中では「エッセイ」と呼ぶにはいまいちな気がして。もっとエピソードトーク的な雰囲気が欲しいと感じています。
エッセイを書きたい!!!!!!!!!!!!!!!!
そういうわけで、短いエッセイを書いてみました。暇つぶしにどうぞ。
ボトルのカフェラテとコーヒー牛乳
ぼくは、銭湯によく行く。地元のスーパー銭湯で、やっすい値段とそのわりに種類の多いお風呂が魅力の、居心地のよい銭湯だ。
お風呂から上がると、ほぼ確定でコーヒー牛乳を飲む。うまい。たまにドクターペッパーの日もある。どっちもうまい。
「銭湯でコーヒー牛乳を飲むとうまい」という文化を最初に発信したのは、どこのどいつだろう。日本のバレンタインデー文化と同じようなマーケティング的企みが裏で働いているんじゃないかと疑ってやまないが、やっぱり「うまい」という事実は事実なので、とても良い文化が根付いていると思う。
でも、瓶のコーヒー牛乳、高くない?ケチだからかもしれないけど、異様に高くない?比較的口の大きい成人男性なら、あれはヤクルトと同じ感覚で一口で飲み干せてしまう。それで140円。高いよ。ヤクルトは70円なのに。
そう文句を垂れたくなる気持ちを抑えながらコーヒー牛乳を買おうとするぼくは、隣の自販機を見て気付いた。
ペットボトルに入ったカフェラテの存在に…!
このタイプのカフェラテは、500mlも入って160円で売られている。かつてハイキングウォーキングのQ太郎が必死に飲み干していたコーラと同じ量!これは明らかに、瓶のコーヒー牛乳を買うよりも何倍もお得じゃないか。これは明らかに、入浴後のまったりタイムにパラダイムシフトを起こす革命じゃないか。こっちを買わない手はない。ケチだから。
意気揚々と自販機のボタンを沈めカフェラテを手にしたぼくは、勢いよくキャップをひねり、いや、ねじり、期待に胸を膨らませながら大きな一口を流し込む。
この瞬間から「銭湯でカフェラテを飲むとうまい」という、ちょっとだけ気取った、新たな文化の幕が上がるはず!
ごくっ
…う〜ん………?
…幕は、上がらなかった。パラダイムシフトは起きなかった。既存の文化というものの「強さ」を知った。
甘みが足りないのだ。不思議なことに、脳がカフェラテよりもチープかつ強烈な甘みを求めている。これは、コーヒー飲料に限っては、コーヒー牛乳(とマッ缶)以外で賄うことはできないらしい。あと瓶で飲むわけじゃないから非日常の特別感みたいなものが全くない。なんだこれ。
普段なら美味しく飲めるはずのカフェラテを不味く感じるほどに、その「差」は歴然としていた。お風呂あがりには、脳はあま〜いものを求めているのだろうか。それゆえの文化なのか。もしかしたら、文化として根付いているもののすべてには、それ相応の理由があるのかもしれない。
ここにひとつ、また新たな「学び」が生まれたのだ。
ぼくは今週も、銭湯に行こう。そして、お風呂あがりに瓶のコーヒー牛乳をめいいっぱいおいしく味わおう。
おわり