めげない、しょげない、

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20歳の自分を覚えているか

 

 

23歳の誕生日を目の前にして。

 

23歳になるというのは、ひとつ感慨深いものがあるように感じる。

本来なら長い長い学生生活に終止符が打たれ、人々は社会人として世の中に出ていく。一方でぼくは、横道に逸れていく、へんてこな「けんけんぱ」をしているような感覚で今も学生生活を送っている。だから余計にそう思うのかもしれない。多分だけど、20歳になったときよりもそういったものを強く自覚している。

 

20歳の頃、ぼくは何をしてどんな人生を過ごしていたっけ?

たまに読むPOPEYEの今月のコラムに、文筆家の方が自分の20歳の頃を振り返るものがあった。知らない方の記事だったけど、コラムになるだけあってその方の20歳はやっぱりどこか「わかりやすい普通」ではないなあと。いや、感想は今はいいわ。蛇足だ。

 

で、自分の20歳を考えたときに、こうエピソードとして語るには記憶が曖昧すぎるな、と。

 

ぼくは多分、人よりも過去の記憶を覚えていられないたちだと思う。たとえば中学とか高校の友人と喋るとき、「こんなことがあったよね」という話題が出ても、はっきり言って覚えていないことが多い。人から昔の彼女について聞かれたときも、本当に大部分を忘れている自分にびっくりしている。強烈なのは残っていてもそれ以外がすっからかんすぎる。ぼくは本当に生きていたのか?

 

さて、20歳の頃、ぼくは何をしてどんな人生を過ごしていたっけ?20歳の頃の自分について語れと言われて、何を語れるだろうか?

たしかにぼくは大学に通っていたし、当時の彼女がいたし、少しだけギターを弾いていた。でもなあ、コラムとしてしたためられるほどの記憶って残ってないよなあ。覚えているのはせいぜい、大学に通えば通うほど精神的に参ってしまうような残念な人間であったぐらい。

 

それから3年、ぼくはますます過去への執着がなくなってしまっている。楽しかった高校時代に戻りたいなんて子供じみたことを思うこともなくなったし、今は今をすごく楽しく感じられる生活を送れているし、なにより将来のことで頭がいっぱいだから。昔のことを思い出すことがとても少なくなった。そうしてまた記憶は薄れていくのだと思う。

だからどうだということはないのだけども。過去への執着がないから。間違いなく過去のすべてが今の自分を形づくっていることはわかる。でもそれだけ。

 

とはいえ、今のこの楽しい気持ちもごっそりと忘れて消えてしまうのか…なんて思うと、寂しいと感じざるを得ない。あのとき何を感じた?何を考えてた?なんて、全然覚えていられないよ。

昔のことをよく覚えている人はどうやって覚えているんだろう。

 

あなたは20歳の頃の自分をどのくらい思い出せるだろうか?

 

案外、そんなもんなのだろうか。