めげない、しょげない、

あなたの暇つぶしの最終手段になりたい

「羨ましい」をやめて幸せに生きよう

 

※これは以前使ってたブログに書いたものをコピペ&推敲し再編成したものです。後半の文章がまあまあくさいけど9割自分のために書いてたものなので悪しからず。

 

 

僕は元々さほど他人に興味のないタイプで、友達のインスタなんか実はクソの毛ほども興味ないし、そのせいか新しく知り合った人も相当気が合わない限り仲良くなるまでには時間がかかる。

 

しかし、そんな僕でも「羨ましい」という感情は持ち合わせていて、大学生活が充実している奴とかバイトをしなくても金銭的に余裕のある奴とか、めちゃくちゃに嫉妬心を抱いていた。

同時に、うまくいかないことは環境のせいにした。どちらかというと恵まれていない側に立っていたのは確かだったから。

自分の力じゃどうにもできないことに振り回されるのなんてたまったもんじゃない。いやまあそれは今も思ってるけど。

 

 

でも、やめた。

 

 

他人を羨ましく思うのをやめた。

環境のせいにするのをやめた。

 

 

「隣の芝生は青く見える」ことからはきっと誰も逃れられない。

お金をたくさん持ってる人も、モデルと付き合うイケメンも、事業で大成功して地位を得た人も。なにかしら悩みがあって、他人を羨ましく思って生きているんじゃないだろうか。ていうか全てを100%満足できる人なんて存在したら逆に怖いわ。

もしかしたら、人生イージーモードで悩みなんて無さそうな橋本環奈も「ケツが汚い」って悩みを抱えているかもしれない。(ごめんなさい)

 

だから他人に羨ましいという気持ちを持つのってすごくすごく時間の無駄使いだなって。

環境のせいにするのも然り。キリがないもん。

 

そうやって「どうにもできないこと」に嫉妬心を抱いている暇があるのなら、せめて「自分の力でどうにかできること」に手をつけよう。弱者なら弱者なりにあがいてみよう。

環境も同じ。せめて未来の自分の住む世界が良くなるように…って今は歯を食いしばってやっていくしかない。悔しいけど、手持ちのカードで戦うしかないんだから。

そうしたら「自分の力でどうにかできたこと」の積み重ねで「今はどうにもできないこと」を、今度こそ変えられる日が来るかもしれない。時間はかかるけどきっと無理じゃない。そう思わない?

 

もし橋本環奈がケツが汚いのが嫌なら、汚いケツに生んだ親を恨む前にケツの美容法を調べて実践すりゃいいし、それでもダメなら美容皮膚科にでも行けばいい。(マジでごめんなさい)

 

 

 

実際のところ「羨ましい」をやめたら格段に生きやすくなった。気持ちの浮き沈みが前よりも減った。

もちろんそんなにすぐ割り切れるものじゃないから他人を羨ましく思うことはあるけどね。

 

もしこれを読んだあなたが僕と同じように他人への嫉妬心を強く抱いたり劣等感に苛まれるタイプなら、ぜひ一度意識してやめてみてほしい。今よりも穏やかに生きることができるはず。

 

 

そして、誰もが他人に何かしら「羨ましい」と思うと同時に誰もが他人から何かしら「羨ましい」と思われていることを覚えていてほしい。

それがたとえあなたにとって地味で普通で価値のないことでも、それを持たない人からしたら宝だ。

 

自分には何もない、なのに!って思うかもしれない。でも、何も持っていない人なんていないんだよ。気づいていないだけ。

実感がわかないと分からないだろうけど、あなたは間違いなく何かを持っている。自信を持っていい。

それが何かを教えてあげられればって思うけどね。せめて僕の身の回りにいる人には言葉にして伝えてあげられるようにしたい。

 

 

少しずつ少しずつ、明るく幸せに生きていけるように頑張っていきましょう。僕と一緒に。

 

 

2月、これから、

 

2月も16日。あっという間だよねという言葉すら置いていくほどに日々が矢のように通り過ぎていく。

 

ついでに、落ち込むような出来事がないとさほどブログを書こうという気持ちにならないんだなあとぼんやり考える今日この頃です。ちなみに2月に入ってからまだ落ち込んでない、珍しい。

※2/18追記  察してください

 

 

自分が心地よいと思える環境は自分の力でつくっていく必要があることにようやく気がついた。自動的に出来上がるもんじゃなかった。全く。

 

正直自分はひとりでも活動そのものはできると思ってて、それはただの傲慢な妄想でしかないんだけど、そういった考え方のせいで自分が心地よいと思える環境づくりというのをおろそかにしてきた節がある。自分でその努力をしないまま暮らしてしまったら、「逃げて」正解だったという話 - めげない、しょげない、の冒頭にも書いたように失敗するのはわかってるのにね。後でしんどくなるのは自分なのにね。

 

 

近ごろは少しだけ努力をしている。自分が属するコミュニティが今より少しでも居心地よくなるように人との関わりを大切に。

例えばバイト先の同期はもちろん後輩とも前より意識して喋るようにしている。昨日は後輩と洋服を見に出かけた。ぼくはビレバンで辛い麺類2個買っておしまいだったけどまあそれはいいでしょう。

 

ただまあ、ぼくはお世辞にも人付き合いが上手な人間ではないので今はこれくらいの努力で褒めてください。自分との相性だけで人付き合い乗り切ってこられた今までの人生まじで幸福すぎるでしょ。脳内花畑クソ野郎。。

 

昨日出かけた高円寺でエンカウントした高校の友達に「ちゃんとバイト先では友達作れたんだね」みたいなことを言われて、何も言い返せねえ〜!ってなりました。新学期からはもう少しだけ努力してみます。

 

 

という話でした。

 

 

2月なのでbloodthirsty butchersの名盤kocoronoから「2月/February」という曲を紹介して締めくくらせていただきます。凛とした冬の静けさの中で密かに感情が爆発している、そんな印象を受けます。好きな曲です。

オリジナルも良いですが、個人的にはぼくの敬愛するcinema staffがカバーしたバージョンもすごく愛とリスペクトに溢れてて素敵なのでぜひ聴き比べてほしいです。

 

 

白状するとこの曲はcinema staff版で知りました。バンドサウンドでこんなに壮大な演奏ができるのか…ってドキドキします。

 

kocoronoの、ヴィンテージのビッグマフが悠然と座するジャケット写真が大好き。本当にかっこいい。「7月/July」も最高なので7月に改めて紹介しよう。

 

 

 

なんかただの曲紹介みたいになっちゃったね。この記事に趣旨はありません。

 

 

それではまた近いうちに。読んでくれてありがとう。

 

 

 

免許合宿から帰ってきました

 

この2週間ぼくは自動車の免許を取りに山形まで合宿に行っていた…というのはわりと周知の通りだと思う。

そうです、行ってました。帰ってきました。

 

ひどく長い2週間だった。1ヶ月以上、もっと言えば何ヶ月も山形の田舎町に取り残されているみたいだった。これほど「千葉に帰りたい」と強く願う日々はたぶん訪れないと思う。

とか言いつつ「あっという間だったな」なんて思ってもみてしまう。少なくとも「2週間!」という感覚ではない。長いような短いような、矛盾しているけどそれが今のぼくの中での正しい感覚だ。どちらでもあると言えるし、どちらでもないと言える。

 

教習は2日目に鬼教官にいびられたのを除けば大きな苦労もなく終えることができた。考えてたよりも手ぬるかった。忙しかったけどね。

 

たまたま同じ入所日・同じ宿舎でなおかつ歳が近い男子大学生2人組とも仲良くなれた。人としての感性が違いすぎてドン引きすることはあったけど、独りで2週間過ごすのに比べたらずっと楽しい時間を過ごせたんじゃないだろうか。ここに感謝を。ありがとう。

 

さっさと免許センターで本免をクリアしてこなきゃなあ。免許を取れたら車を運転できるのか。こんな変なところで大人になった実感が湧いてる。

ただ本当は、2年半近く前には免許取得している予定だった。予定は未定だった。長かったね、ほんと…。

 

 

免許を取りに行くにあたって「通いか?合宿か?」という部分はかなりありきたりな疑問だと思うけど、ぼくは間違いなく合宿をおすすめする。

教習の予定は組んでもらえるから自分でわざわざ予約する必要もなく(もちろん教習のキャンセル待ちなんてバカバカしい時間も必要ない)、ご飯と寝るところは用意してもらえるし、なによりたった2週間で免許を取れるときた。どっちがいいかなんて自明の理だろう。

 

あと、みんな誰かと行きたがるけどマジでひとりで全然問題ないです。知らない人でも毎日顔合わせてれば嫌でも喋るようになるし、むしろ友達と同じ部屋で2週間も過ごすとなるとひとりの時間が取れなくて苦痛になってくると思います。夜の暇な時間を好きなように使えるのはひとりだからこその特権。

人と喋らないと死んじゃう!とかいう人は別だけどね。

 

 

ようやく家でご飯を食べ家のお風呂に入り自分の部屋のベッドで寝られる。これほどの幸せはない。

疲れで体調を崩しそうな予感はビンビンにしてるけど気合いを入れて乗り切ります。身体休めます。絶対に体調崩してたまるか…。

 

総評すると「まあそこそこよかったよ」と言える2週間でした。勇気を出して行ってよかった。

 

本免受かったらドライブに行こう!遊んでください!お誘いお待ちしております👊🏻👊🏻

 

 

今晩は早く寝ることにします。ありがとう山形。

 

 

それではまた。

 

 

方向音痴として生きる

 

ぼくは恐ろしく方向音痴だ。

 

はじめて来た道はもちろん、うろ覚えになりつつある2回目3回目も高確率で迷う。4回目になると「ここは俺の庭だ」と豪語し始め、その割に時々迷う。それ以降になってようやく迷わなくなる。さすがに道を覚えるくらいの脳はある。

 

道に迷うというのは簡単である。曲がる箇所、岐路を間違えればいい。

方向音痴な人間は道を曲がるとき感覚に頼りきって動く。なぜ迷うかと言うとその感覚がズレてるからに違いない。そうして知らない道に出て泣く泣く引き返すはめになってしまう。

 

さらに言えばそういう人間はまともにグーグルマップを使わない。厳密には、基本は使っているのに変なところで感覚に頼って道を間違える。「いけるべ!」とか言ってグーグルマップを閉じて歩き出す。ぼくはそれで行けた試しがない。現代の原始人。

 

 

方向音痴としての原体験について語ろう。

 

中学生のころ、テニス部だったぼくは友達とテニスコートに自転車で向かおうとしていた。大きい道路に面した、わかりやすい位置にあるテニスコートだ。

テニスコートへの詳しい道は誰も知らなかった。しかし、その大きい道路の中腹には親と何度か行ったことのあるショッピングモールがあって、まずはそこを目指そうと思いぼくは自信満々に道案内を始めた。

 

…気付いたらぼくたちは知らない街にいた。大きい道というのは合ってるはずなのに行けども行けどもテニスコートは現れない。

あとで(高校に入ってから)知ったことだけど、ぼくはそのショッピングモールを起点に曲がる方向を間違えてたみたいだ。反対方向に延々と突っ走っていた間抜けな中学生。

ちなみにその日テニスは諦めて帰った。

 

 

それからぼくは方向音痴としての人生を歩み続けている。

高校の頃、学校から家までの最短距離を編み出そうとして1時間以上さまよった果てに知らない警察署の前に到着した(ここでようやくグーグルマップ起動)ちなみに学校から家までは35分あれば着きます。警察署は学校から10分程度のところでした。

最近だと、地下鉄の駅に向かうための曲がり角を反対に曲がって10分かそれ以上の地味に長い距離を歩いた(ここでようやくグーグルマップ起動)

 

 

いや待って、これただのバカなのでは??????

 

後者にいたっては先月の話だからね。まったく学習してないよね。脳ミソ溶けてんじゃないかな…。

 

 

方向音痴は直らない。そういうことなので、ぼくはこの先も方向音痴として誇り高く生きていこうと思います。道案内はぼくにさせないほうがいいです。

 

 

 

おわりに、ここまで読んでくれた誰もが言うであろうことを先読みします。

 

 

最後までグーグルマップ使えカス!

 

 

ぐうの音も出ません。現場からは以上です。

 

ツイッターとわたしと話のはなし

 

近頃はツイッターに「今日はこういう面白いことがあった」という投稿をするのは控えている。(ツイートの数そのものは相変わらず多いけど)

 

というのは、「話したいことリスト」というのを試験的に作ってみたから。

 

どうせ面白いことがあって誰かに聞いてほしいなら、ツイッターに投げるよりも直接ひとと話せるときに話したほうが自分の気持ちの面でもコミュニケーションの面でも絶対に良いし、なによりぼくはそういうエピソードを忘れすぎる。

これは!!と思ったことを忘れた回数は数えきれない。

 

いやまあ、お前の話に興味無いねんって言われてしまったらそれまでなんだけどね。静かに泣くね。

自分で話してて「あっ…これ面白くなかったわ」と思って着地点を見失うことはままあるし、せめて少しでもエピソードを面白く話せるように頑張る。人志松本のすべらない話見て研究する…。

 

 

およそ6年前、高校1年生の時にツイッターを始めてからずっと「話したいこと」はみんなネット世界に浮遊するただの文字列として消費してきたような気がする。そりゃあ人と喋るのも苦手になっていくよなあ。

もともと「自分の話しかしない男」が嫌いだったしそう思われたくなかった、というのもあるだろうけど。

(お前ブログ自分の話しかしてないやんけって指摘は勘弁)

 

ぼくと対面してスムーズにお喋りできる人は相当ぼくと気が合うか、あるいはコミュ力が果てしなく高いかの2択だと思う。

みんな仲良くしてくれてありがとう…。単純に後者である場合はぜひ誇ってください。。

 

そんな感じで、ツイッターとの新しい距離感をうまくはかりながらやっていってます。

それでもツイートが減らないのはなんでだろう!中毒者!

 

 

 

さて、免許合宿のため山形に来ているぼくですが、なんとか生きています。一緒に夕飯食べて少し話したり情報交換し合える仲の人もいます。3日前に怒る教官にあたってしまい、21歳にもなったのにリアルに嗚咽付きで泣いちゃう寸前までいきましたがそれ以外は元気です。

 

日記らしい日記をつけてみようかと思ったけど毎日そんな時間とるのばかばかしいなと思ってやめました。

夜の空き時間はニコ動見るかゼルダの伝説またはスマブラやってます。暇を共有してくれる方は連絡ください、オンラインでスマブラやりましょう。

 

千葉に帰ったら楽しみが待ち受けているので今はそれめがけて頑張っています。あと10日。今のところ順調。

 

 

めげない!しょげない!

泣いちゃダメ(マジで)

 

 

マジで。

 

140字で事足りる生活

 

ひどく穏やかな毎日を過ごしている。

休日というものが基盤にあって、時々バイトし時々遊ぶ。加えて実家暮らし。恐らくTwitterフォロワーの中で最も良い生活をしているだろう。基本的に金欠なことを除けば。

 

これを書いている今も、親と一緒に家の電球を買いに来たケーズデンキマッサージチェアに座ってゆったり、いやもうぐったりしてる。なんだこれ。

 

 

思えば、ここ最近「140字で事足りる生活」を送っている気がする。

例えば出かけたとしてもインスタストーリーとTwitterにチラッと投稿してしまえばそれでおしまい、みたいな。穏やかなのは良いことだけどさすがに無味乾燥というほかないだろう。もう少し脳みそ使う時間を増やして過ごしたほうがいいよね。

 

じゃあなにして生きてるの?という疑問があると思うので答えます。

なにして生きてるんだろうって思いながら生きてます。

 

わざわざブログに書こうと思うようなエピソードや内心の変化が無いんだよなあ(厳密にはあるけどいずれにしても書くようなものではないと思う)。

この2ヶ月ほどは試験もあったしいくつか人間関係の変化もあったし、なかなかに激動の日々だったという認識はある。でもべつに日記をブログに書く人間ではないので…。

 

ぼくは本当にブログ書くのが趣味なのか??

 

 

…ブログって何書けばいいんだろうね!ちなみに落ち込んだ日のしょうもない記事は消したよ!恥ずかしいので!

 

 

そもそもぼくはこんな生活で果たして社会復帰(?)できるのだろうか…という一抹の不安。そっと思考の横に置いておくことにする。とりあえず。

 

 

さて…来週から2週間、山形へ免許合宿に行ってきます。行く友達がいなければ向こうでたいして友達ができるとも思ってないので、向こうでの暮らしをチマチマと投稿できたらなぁなんて思ってます。3食付きビジホなので「暮らし」ではないけど。ついでに言えばまだ行ってすらないのに家でご飯を食べたい。

 

べつに自分のブログを面白いと思ってやってるわけじゃないしなにより誰から求められてるとも思ってないけど、前回の記事で「好き放題にやる」と書いたので好きなようにやります。読んでくれ。

 

オチがつかないのでこの辺でおしまい。

 

では。

 

ごあいさつ2019

 

あけましておめでとうございます、ということで始まりました2019。よろしくお願いします。形式的な台詞だけど大事よね。

 

11月の後半から年末にかけての1ヶ月強は人生で最も充実した期間だったと言っても過言ではないほど楽しかった。

ここまで激動の日々じゃなくていいけどこの先も楽しいことワクワクすること嬉しいことのために邁進していこう。

 

今年は目標を前よりも細かく決めて道すじを明確にすることにした。まだ調べ足りてないからここで公約のようにリストアップはできないけど、よく調べて頑張ってみます。決めたうえでポロっと投稿するか周りの人に話すに留まるかは知らん。

同期より2年も伸ばされたモラトリアムをただ消費して過ごすのはもったいなさすぎるからね。幸せのために頑張ろうね。めざせ3000万プレイヤー。

 

というわけで、2018年のことは2018年に置いてきたので振り返りは特にしてないけど気にせずに新年のご挨拶です。

ブログは相変わらずお金のかからない良い趣味としてマイペース好き放題にやっていくのでまた遊びに来てください。

 

それでは!改めて本年もよろしくお願いします!